近代日本医学の父と言われ、2024年には新千円札に肖像画が描かれる予定の北里柴三郎先生(1853~1931)。
「現代にも通じる諸課題に尽力しており、新元号の下で新しい日本銀行券にふさわしい人物」と評されていますが、実際にどんなことをして、何を令和の現代まで評価されているのか意外と知らない方も多いのではないでしょうか?
どのような医学の功績があるのでしょうか?
細菌の分野で活躍をし、伝染病の予防や、治療に大きな貢献をして知られています。
―― 概要 ――
旧帝国大学で医学を学んだ後、ドイツへ留学し、細菌学者の第一人者であるロベルト・コッホ医師のもとで破傷風菌の純粋培養に成功。
破傷風菌の研究の中で、毒素というものを発見し、またこの毒素や病原菌にさらされた動物の血液中に毒素を弱める抗体を発見しました。
そしてこれを注射することで感染症を抑える「血清療法」を切り開いたことが、大きな功績として知られています。
伝染病へ対処できていなかった当時、この血清療法はとても画期的だったそうです。
その後ジフテリアでの血清療法をエミール・ベーリングと共同研究し、このエミール・ベーリングが第一回のノーベル医学生理学賞を受賞。
実験データの提供をし、共同研究をしていた北里先生は受賞となりませんでした。
ちなみにこのことから2015年に北里大学特別栄誉教授の大村智博士が受賞した際には、研究内容はもちろん異なりますが、1世紀をこえて叶ったと話題になりました。
帰国後は福澤諭吉先生から土地と資金の援助を受け、北里研究所を起こし、香港でペストの流行があった際に現地へ赴き、その原因であるペスト菌をスイスのイェルサンと同時期に発見しました。
研究した病気について
・破傷風・・・土の中にもある破傷風菌で起こる感染症。傷口から入り、さまざまな神経に毒素が作用。全身の筋肉が固くなり、痙攣や呼吸困難で命を落とすことも。
・ジフテリア・・・ジフテリア菌により発生。喉などに感染して毒素を出し、眼球や呼吸をするための横隔膜の麻痺、心不全を起こす。
・ペスト・・・腺ペストと肺ペストに分けられ、げっ歯類からのノミを介した感染と、人から人への飛沫感染が起こる。高熱や意識障害、肺ペストの場合は重い肺炎、嘔吐、致命的になりうる感染症。
日本の医学部の礎と言われる訳
帰国の後、北里柴三郎は今の日本の医療に大きく影響する研究所の設立、医師会の創設、医学部の設立に尽力しました。
1892年 私立伝染病研究所設立
― 野口英世はじめ多くの研究者の輩出、治療薬、細菌の発見
1914年 北里研究所創立
― ワクチンや血清の研究が進む
1916年 大日本医師会を創設(日本医師会の前身)
1917年 慶應義塾大学医学科創設
― 民間の医学教育の開始
1923年 日本医師会を創設
― 社会面での制度確立に貢献